オーストラリアのワインの歴史
19世紀に入ると、イギリスからの自由移民の都市として計画されたアデレードに、ドイツやフランスからの入植者も移り住むようになり、その範囲は南オーストラリア州にも広まった。オーストラリア国内で最も乾燥した地中海性気候も相まって、1830年代には栽培が盛んに行われるようになった。
ワインが南オーストラリア州経済を支える重要な産業にまで発展したきっかけのひとつが、1863年にフランスで初めて確認され、猛威を振るったフィロキセラだ。1875年にはオーストラリアにも到達し、当時オーストラリアのワイン産業をリードしていたビクトリア州とニューサウスウェールズ州の一部に被害をもたらした。
他方、州間検疫制度により他州への蔓延は阻止され、被害を免れた南オーストラリア州ワインでは次第に生産が増大。20世紀に入り、オーストラリアがイギリスから独立すると、州間で設けられていた関税が撤廃され、安価な南オーストラリア産ワインは国内市場を席捲。ビクトリア州に代わって南オーストラリア州が主導権を握るようになった。現在では全生産量の約半分を占めており、アメリカにおけるカリフォルニア州のような「ワイン州」となった。
1950年代ごろのオーストラリアワインは、生産・消費とも酒精強化が中心だったが、当時多くなった南欧系移民などの影響により、1960年代にはその中心がスティルワインへとシフト。大手資本の投入により醸造技術も向上、質・量ともに劇的な発達を遂げた。
日本でもすっかり定着した感のあるバギンボックスの発祥はオーストラリア。1965年にカスクワインとして特許を取得、2年後に別のメーカーによって現在の包装形態に近いものが開発された。また、主要国最初にスクリューキャップを導入したのもオーストラリアだ。当時は低価格ワインが主体であったが、2000年代以降は高級ワインでも採用が進み、世界的に広がる先駆けとなった。